「お化けのお寺」と「神地とお化け寺」
更新日:10月5日
宮前尋常高等小學校副読本 『郷土之お話・上之巻』 昭和8年度(1933年度)
十四、お化けのお寺(中原町神地(ごうじ))
源頼朝(みなもとのよりとも)は健康な人でありましたが、後年痔疾(じしつ)に悩まされて困りぬきました。当時の頼朝は、飛ぶ鳥も落とすという程(ほど)の勢いでしたので、全国の名医という名医を招いて治療(ちりょう)しましたが、なかなか癒(い)えませんでした。で、明け暮れ、このことばかりが気になっていました。
すると、ある晩、夢枕(ゆめまくら)に仏様(ほとけさま)が現(あらわ)れ、
「武蔵国(むさしのくに)橘樹(たちばな)郡の平原(へいげん)に、清き流れがある。行きてその水に浸(ひた)りて洗え、病(やまい)忽(たちま)ち治るであろう。」とおっしゃって、お姿が消えました。そこで、頼朝は人を遣(つか)わしてその清き流れを探させましたところ、すぐに見当たりました。
頼朝は、直(ただ)ちに橘樹の里をさして出立(いでた)ちました。程なく、橘樹の平原へ達しました。見ると、成程(なるほど)、坦々(たんたん)たる南武蔵(みなみむさし)に遙(はる)か多摩川を隔(へだ)てて、唯(ただ)一つの清流が豊満(ほうまん)な水を湛(たた)えて緩(ゆる)やかに動いています。
頼朝は、二・三回その流れに身を浸しました。と、不思議や、今までの痔疾がぬぐい去ったように治りました。頼朝は勿論(もちろん)のこと、側近(そっきん)の人々もその奇蹟(きせき)に驚き、且(か)つ感じ合いました。
そこで、頼朝は御仏(みほとけ)に感謝するしるしとして、その川の辺に一草寺をお建てになりました。
× × × × × ×
それから、幾十年か過ぎました。頼朝の建てたお寺は、いつの間にか廃(すた)れ荒(すさ)んでしまいました。屋根は朽(く)ち、軒(のき)は落ち、庭は草薮(やぶ)に変わってしまいました。けれども、誰もその廃寺をかえりみる者もありませんでした。
ところが、いつしかその寺に僧が住んでいることに気がつきました。が、その僧は何処(どこ)から流れて来たのか、どんな人かは誰も知る者はありませんでした。その僧は、一人の小僧(こぞう)と下男(げなん)とを使っていました。
ある日、すぐ近くのお医者のところへ、その下男がやって来ました。
「今日は、実はお寺に病人がありますので、お迎えに参りました。」
「あ、そうですか。じゃ、すぐにお伺(うかが)いします。」
そこで、お医者はすぐにそのお寺へ急ぎました。
「やあ、どうも御苦労様(ごくろうさま)でした。」と、小僧らしいのが言いました。
「どなたですか、御病人は・・・。」と、お医者が聞きました。
「私です。どうも昨晩(さくばん)から熱が出て頭が痛むのです。」
「そうですか、じゃ、一つお脈(みゃく)を診(み)てみましょう。」
お医者はそう言いながら、小僧の手を取って脈を診ました。すると、お医者は驚きました。その脈は、人間の脈の打ち方とは違っていました。
「はて、こりゃ獣(けもの)の脈だが。」と、不思議に思いながら、
「舌(した)を出してみなさい。」と、言いました。小僧の出した舌の長いこと、ペロペロとして、まるで牛の舌のようです。
「これは・・・。」と驚いていると、前の襖(ふすま)ががらりと開いて、僧が出て来ました。
「こりゃ、小僧。貴様(きさま)は何の真似(まね)をしてるんだ。あちらへ行きな。」と、その小僧を叱(しか)りつけて、
「実は病気というのは私でございます。どうか診て下さい。」と言って、お医者の側(そば)へ座りました。
「あ、さようですか、では、お手を出しなさい。」
その僧の脈を診てみますと、やはりさっきの小僧のと同じです。お医者は体をふるわせながら、
「舌をお出しなさい。」と言いました。
その僧の舌の長くて不気味(ぶきみ)なこと、お医者は肝(きも)を潰(つぶ)して、道具も置き捨てて逃げ出しました。
すると、後から声をかける者があります。振り返って見ると、それはさっきの下男です。お医者はやっと胸を撫(な)で下ろし、
「こ、これこれ。このお寺の、お、・・・和尚も小僧も、に、・・・人間じゃないよ。」と、まだ恐(おそ)ろしさもさめず、口ごもりながら言いました。
すると、その下男は、
「そうですかい・・・。私もその仲間だ・・・。」と言って、長い舌を出しました。さあ、お医者は驚くまいことか、腰(こし)も抜(ぬ)かさんばかりにして家へ逃げ帰りました。
それから、この事が村中響(ひび)きわたりました。そこで、村の人々は神主(かんぬし)を頼んで、その寺の化け物を退治(たいじ)することにしました。
さて、いよいよ今日が吉日(きちじつ)というので、神官(しんかん)は大勢の村人とそのお寺へ参りました。そして、お寺の庭に祭壇(さいだん)を設(もう)けて、悪魔(あくま)退散(たいさん)の祈願(きがん)をしました。
すると、その妖怪(ようかい)の僧たちは忽ち変な獣(けもの)の姿となり、慌(あわ)てふためいて逃げ出しました。村人は、やっと安心しました。
このように、神のお力によってこの地が清められたので、この地を神地(ごうじ)と名づけたということです。ある人が、吉良家(きらけ)の菩提寺(ぼだいじ)を世田谷(せたがや)から移して、その跡(あと)に建てました。今の神地の泉澤寺(せんたくじ)がそれであります。
【注】 痔疾=肛門の病気。 癒える=治る。
明け暮れ=いつも、しょっちゅう、明けても暮れても。 遣わす=派遣(はけん)する。 坦々(たんたん)たる=土地や道が平らな状態。 朽ち=腐(くさ)り衰(おとろ)える。
肝を潰す=非常に驚く。 菩提寺=先祖代々のお墓があるお寺。
萩坂昇作『かわさきのむかし話』昭和61年(1986年)
神地(ごうじ)とお化け寺(中原区)
むかしな、中原区の神地(ごうじ)に坊(ぼん)さんのいないやぶれ寺があったと。
屋根はな、いまにもくずれおちそう、境内(けいだい)は、ぼうぼうと草がしげっておばけ寺とよばれ、だれもおまいりにいかなかったと。
そんなある日な、寺のそばをとおると、寺から木魚(もくぎょ)をたたくおとがきこえてきたと。
「おかしいな、坊さんも小僧もいないというのに、いったいだれだべ」
ポクポク ポクポク ポクポク
まちがいなく木魚のおと。
それからいく日かすぎた夜、村のいしゃへ寺の小僧がはしってきたと。
「おら、寺のつかいだ。病人がでたでむかえにきただ。すぐにきてくれ」
と、いしゃをつれだした。
いしゃは、小僧について夜道(よみち)をあるいていった。
「寺というたが、どこの寺じゃ。ここらではみかけぬ小僧さんのようじゃが」
「おら、あそこの寺だ」
小僧は、ケロッというたと。
「な、なに? あ、あのお化け寺だと?」
いしゃは、足がすくんでしもうた。
「お化け寺だかなんだかしらんが、おらの寺だ。さ、いそいでいそいで」
小僧は、いしゃの手をぐいぐいひっぱって寺へとはしった。
寺の境内へはいると、なまぐさい風が、いしゃのほほをなぜていく。にげようとしたが、小僧がしっかりと手をにぎってはなさない。
草をかきわけて寺につくと、小僧は、戸をガタピシ、ガタピシあけ、中へはいれとつきとばした。
「おお、きたか、きたか。おらが病人だ。みゃくをしらべい」
おくからまっ黒いかおの小僧がでてきて、毛むくしゃの手をつんだした。
いしゃは、おそるおそるみゃくをしらべた。
〈け、けものじゃ。人間じゃねえ〉
まっさおになって箱からくすりをだし
「こ、これをのんでくだされ。ごめん」
にげようとすると、おくから
「またれいっ! 病人は、わしじゃ、べろをみてくれ」
と、年よりの坊さんがあらわれ、ボツボツだらけのまっ赤なべろをベロンとだしたと。
〈け、けものじゃ〉
いしゃは、ガクガクとふるえた。
「こ、これを飲んでくだされ。ごめん」
くすり箱もほうりだして寺をとびだし、にげた、にげた。どんどんにげた。
やっと村の辻(つじ)にでたので、ほっとしてしゃがむとな、むこうから黒いかげがはしってくる。
「まてっ! まってろ。病人は、おらだ。それをほったらかすなんて、それでもいしゃか」
みると、むかえにきたあの小僧だ。
いしゃは、にげようとしたが、なんとしてもこしがたたん。小僧は、ニカッとわろうてちかよってくると、「たまには、寺さおまいりにこい」というて、寺へはしっていったと。
この話は、村じゅうにひろまった。
「だーれもおまいりにいかないから、仏(ほとけ)さまがおこったんじゃ。ひとつ、神さまにおきよめをしてもらうべ」
と、神主(かんぬし)をよんでおきよめをしてもらうことになったと。
おばけ寺の境内の草をかって、祭(さい)だんをつくり村人があつまった。
神主がのりとをあげ、おはらいをしていると、寺の戸が、バシバシッとやぶられて、三びきのむじなが、うらのやぶへにげていったと。そして、それっきりなにもおこらなかったと。
それからこのあたりを神さまにきよめてもらったというので「神地(ごうじ)」というようになったのだと。
そしてな、おばけ寺は、いつのまにかなくなってそのあとにできたのが泉沢寺(せんたくじ)というりっぱな寺だそうな。
二作品を比較して 萩坂心一(かわさき民話を愛する会会長)
昨年来の一連の取り組みは、昭和8年度刊行の『郷土之(の)お話』の内容を正確に記すことが目的ですが、現代仮名遣いへの移行をはじめ、今の子どもたちにも読みやすいように「ルビ」や「注」を施しています。
今回で四回目になりますが、『郷土之お話・上之巻』の14番目に出てくる「お化けのお寺」を取り上げました。同じ題材で、川崎の民話作家・萩坂昇さんは「神地とお化け寺」を書き残しています。53年間の「時間差」のある二作品ですが、比較することで、それぞれの書き手の思いが浮き彫りになります。
昭和8年に作られた「副読本」に込められた宮前尋常高等小学校の先生たちの思いを深く読み取りたいと思います。萩坂昇さんは、採録するにあたり、何を残し、何を削ったのか、単なるボリュームの違いだけではないものを探ってみるつもりです。私自身の見解は次の機会にお伝えしますが、皆さんも読み比べて、ご意見をお寄せいただけると嬉しいです。
(2026年9月記)
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