「水天とむじなの本尊」と「二つの本尊」~二作品を比較・検討してわかること~
- 心一 萩坂
- 5月4日
- 読了時間: 9分
「水天とむじなの本尊」と「二つの本尊」
~二作品を比較・検討してわかること~
萩坂心一(かわさき民話を愛する会)
〈はじめに〉
今回は、『郷土之お話・上之巻』掲載の「水天とむじなの本尊」と『かわさきのむかし話』掲載の「二つの本尊」を比較・検討してみます。
言うまでもありませんが、前者は、昭和8年度(1933年度)刊行の宮前尋常高等小學校副読本であり、後者は、昭和61年(1986年)発刊の萩坂昇さん作によるものです。したがって、前者を参考にして後者の作品ができたと考えるのが妥当で、その逆はありえません。
そんな二作品を比較すると、「水天とむじなの本尊」の長文、ボリュームの大きさが際立ちます。冗長・冗漫と言ってもいいくらい、登場人物・動物はよくしゃべり、くどいくらいに会話と対話を繰り返します。
〈なぜ長い作品なのか?〉
高等小學校の副読本は貴重な教材なので、地元に伝わる昔話をテキストにして、今でいう「道徳」、当時なら「修身」を教えこもうとしたのではないでしょうか。
戦前の教師・先生は「訓導」と呼ばれていました。教え、諭し、導くことが使命です。日本は「神の國=神洲」であり、「天皇の國=皇國」における「皇國の訓導」として子どもたちに接していました。
さらに、昭和8年=1933年という時代背景を重ね合わせると、1931年9月「満洲事変」、1932年3月「満洲国建国」、5月「5.15事件」、1933年3月「国際連盟脱退」と国内外で重大事件が続発します。日本が中国侵略を本格的に開始し、傀儡国家をつくりあげ、それに対する非難が強まると国際連盟を脱退し、孤立路線に踏み出していった時代でした。
そのようなときに、当時の「訓導」は、天皇の赤子である「少国民」(児童・生徒)を対象に、地元の昔話を題材にして、人物・動物設定も色濃く、多様な言葉を駆使して副読本を作成したことでしょう。神國を護り、「八紘一宇」「五族協和」の精神を中国・アジア地域にも拡大していくように教え導いたはずです。その熱量が、「水天とむじなの本尊」という昔話を長大なものにした要因ではないでしょうか。
以上が、私自身の40年間の教師経験と歴史検証に基づく仮説です。
〈何を伝えたかったのか?〉
では、先生たちが自らガリ版を切って、多大な労力を使って作り上げた昔話で、何を伝えたかったのでしょうか。
「水天とむじなの本尊」では、水天という坊さんと狡猾なむじなの対決がクライマックスとなりますが、そこに至る過程で、むじなと狐の悪だくみが執拗に書き込まれていて、「悪の枢軸」ぶりが描き出されています。一方、水天と狸は「正義の味方」という設定で、むじなと狐を退治する計画を立てます。
こうして「正義と悪の対決」の構図が明示されますが、当時の時代背景を考えてみると、日本を批判する邪悪な列強国に対し、知恵と勇気を持って立ち向かっていく日本人らしい生き方を伝えているように見えます。
仲間の狸の死を受け、弔い合戦に臨む水天がむじなを刺し殺し、むじなの死骸に対して村人たちが罵倒するところで話は終わります。単純化して言えば、「悪を成敗し、正義は勝つ」ということを教えたかったのではないでしょうか。
萩坂昇さん作の「二つの本尊」には「むじな」は出てきません。できるだけわかりやすく、簡潔に表現する作家でしたので、むじなの存在はなくし、登場する動物は狸と狐だけにしたのだと思います。
〈いくつかの疑問〉
長文の「水天とむじなの本尊」を読み込むと、いくつかの疑問がわいてきます。
① 水天の行為
本文では「水天は、何でも知っているなかなか偉い人」と紹介されていて、村人たちからもよく相談を受けて尽力する立派なお坊さんです。狐とむじなの悪行のおかげでひどい目に遭ったり、死んだ人まで出ていたので、村人たちから相談を受けた水天は、仲の良い狸に協力を求め、狐とむじなを退治しようと画策します。
そこまではよくある話ですが、狸の敵討ちとはいえ、出刃包丁でむじなを刺し殺すという展開は看過できません。地元に伝わる話に即しているとはいえ、「殺生」を戒める仏教徒がこんなひどいことをしていいのでしょうか。子どもから是非を問われた時、先生たちはどう答えたのか、気になるところですが、恐らくは、「悪を断つには殺しても構わない、それも仏様の教えである」と説諭したと想像します。
この点では、萩坂昇さんの「二つの本尊」も同じ結末で、出刃包丁を片手にした水天の挿絵まで掲載されています。戦争で肉親や多くの仲間を喪った昇さんの心のうちは複雑だったかもしれませんが、昔話をありのままに伝える民話作家として書き綴ったのでしょう。
ちなみに、先日お亡くなりになった小澤俊夫さん編集の『かわさきのむかし話を語ろう』(2022年北野書店刊)では、本尊に化けた狐を「しばりあげる」にとどめ、出刃包丁も出てきませんし、殺しもしません。子どもたちへの影響を配慮しての書き換えだと思います。
② ラストのどぎつさ
ラストシーンを抜き出します。長くなりますが、特徴を知っていただきたいのでご容赦ください。
【翌日、水天の話を聞いた村人は、どやどやと辻堂へむじなの死骸(しがい)を見物にやって来ました 。
「なんてまあ、でけえずう体(たい)をしているんだろうなあ。まあ、こいつはこの体で盗んて食いやがるのだもの、叶(かな)えっこねえや。でもまあ、水天さんのお陰様で、俺たちは今晩から枕を高くして寝られるんだ。本当に有り難(が)てえこった。」と、一人が言えば、
「そうにもなんにも、こん畜生、まあ人もあろうに水天様の所へなんど逃げ込みやがって、天罰だあね。」と、他の者は言いました。餅を盗まれた爺さんなどは、「こん畜生(ちくしょう)、俺んとこの勝手に入りやがって、せっかく大骨折ってこしらえた伸し餅を盗みくさって。」と言いながら、むきになって、死んでしまっているむじなの頭といわず腹といわず、蹴とばすのでした。
誰一人として水天さんを讃(たた)え、むじなを罵らない者はありませんでした。びっくりして逃げてしまった狐はどこへ行ってしまったものか、それからというもの、ちっとも姿を現(あらわ)さなくなってしまったということです。】
いかがでしょうか。悪者=むじなの哀れな末路とはいえ、死骸の頭や腹を蹴とばすという村人の行為は尋常ではありません。というのも、この場面は、1923年の関東大震災時における朝鮮人虐殺、1945年終戦末期の日本空襲で撃墜されたアメリカ兵捕虜への虐待を想起させるからです。
あまりにどぎついシーンなので、子どもたちの受け止めが心配になりますが、純真な子ども心への配慮よりも、敵対心を喚起する狙いがあったのでしょう。そういうことが、当時の教師たちの使命・役割として期待されたに違いありません。
なお、萩坂昇さんの「二つの本尊」では、村人たちのリアクションは一切触れられていません。作者として、単純にページ数を増やしたくないこともあったでしょうが、もしかしたら「どぎつさ」を避けたのかもしれません。
③ 道徳教材としての適性
私は「水天とむじなの本尊」は道徳教材の役割を担っていたので長文になったという仮説を立てました。これは、『郷土之お話』全編に通じることでもあり、尋常高等小學校の副読本の作成意図とも関係します。
その意味で、この「水天とむじなの本尊」が道徳教材として適切だったのか、検討が必要だと考えます。結論から言うと、当時はそれなりに説得力があり、インパクトのある教材だったとは思いますが、今日的にはやや一面的で、思慮の浅いものになっている気がします。
例えば、次のような場面での人物・動物描写に浅薄短慮な傾向が表れていないでしょうか。
【「むじな君、一度正直にしますと誓っておきながら平気でうそをつくような者と、僕は友達になることはできないよ。君がまたそうやってあやまって、誓い直したところで、とても僕は信じられないもの。僕はきっぱりお断りするよ。」と、狸は言い切りました。
「こんなにお願い申しても、駄目でしょうか。」
「もう、君が百万遍(べん)あやまったところで、僕はもう聞いてあげないよ。」
むじなは、暫(しばら)く黙っておりましたが、やがてぐいと頭を上げて、
「ちえっ。君のように情を知らない奴もないねえ。よくそれで、水天さんのお気に入りになれたもんだ。君なんかには、僕はもう何も頼まないよ。この腹でか奴(め)が。」と、罵(ののし)って気味悪い眼を光らしたかと思うと、やにわに傍(かたわ)らにあった枯れ枝を狸に叩きつけて、どこかへとんで行ってしまいました。】
このようなやり取りは、宮澤賢治の童話作品にも散見しますが、賢治の場合、その後に劇的な変化・展開が用意されています。対立や分断から、和解や救済の世界へと昇華していくわけですが、「水天とむじなの本尊」では、とくに変化はなく、対立と不信感を抱いたまま話は進んでいきます。
昔話に多くの教訓・人生訓を求めることは無理がありますが、学校現場の副読本として使われたことを考えると、もう少し深みのあるストーリーや人物・動物設定があってもよかったと思います。
でも、こういうことは今だから言えることで、私も当時の教師だったら、「悪い奴はぶっ殺せ」と率先して力説したことでしょう。
〈おわりに〉
両作品とも「昔話」の特性を保持している面があります。「水天とむじなの本尊」では、
【そこで、狐とむじなは、狸の穴の中に隠れて待っていました。半かけお月さんが、うす暗く山の上に光っていました。やがて、ポンポンと、狸が自慢の腹の太鼓(たいこ)を打つ音が聞こえてきした。「やあ、帰って来たぞ。野郎、お腹がふくれたと見えて、のん気に腹太鼓を叩きながら来やがる。」】
この後、狸が殺される凄惨なシーンになるのですが、その前の腹の太鼓をたたく狸の姿は微笑ましく、昔話そのものです。ちなみに、この場面は萩坂昇さんの「二つの本尊」には出てきません。
また、昇さんが作品名にしている「二つの本尊」は、両作品ともユーモアが感じられます。「水天とむじなの本尊」では、
【「おや、おかしいぞ。本尊は一つしかない筈(はず)だが。ははあ、むじなの奴、逃げ場がないので今度は本尊に化けたな。ようし。」
水天は、両方の本尊に手を触(ふ)れてみました。すると、左の方の本尊は暖かでした。水天は、暖かい方の本尊にデバを突きつけ、冷たい方の本尊にそっと指を触れて、
「どっちが本尊、どっちが本尊。」と言いながら、だんだんデバの方に力を入れていきました。すると、暖かい方の本尊は、真っすぐに下げていた手を上げて自分の鼻を指し、
「こっちが本尊、こっちが本尊。」と、言いました。水天は、
「家(うち)の本尊はものは言わん。このむじなの奴め、思いしれ。」と、グッとデバを突き刺しました。本尊は「ギュッ。」と言って、転げ落ちました。それは、大きな大きなむじなでした。
外で待っていた狐は、このむじなの声を聞くと、夢中で山の奥へと逃げ去ってしまいました。】
一方、萩坂昇さんの「二つの本尊」では、
【水天は、本尊の前で足をとめた。〈あれ、ご本尊が二つある。は、はー、やろうが化けたんだな〉
水天は、ご本尊をながめていたが、「どちらが本尊、どちらが本尊」
というと、右の本尊が手をあげて、「こっちが本尊。こっちが本尊」
「なんとぬかす、うちのご本尊は、ものをいわん。たぬきのかたきうちじゃ」
むなぐらに出刃包丁をつきさすと、ご本尊は、老いぼれきつねになったと。】
浅知恵の暴露シーンは、両作品ともユーモラスな雰囲気を醸し出し、ご本尊に化けたむじなや狐の間抜けさを浮き立たせます。そういうところがいかにも昔話らしく、時代の制約を超えて、戦前の先生たちも地元の昔話への親しみを抱いたことでしょう。53年間の「時間差」のある二作品ですが、いずれも共感できる要素を保ち、昔話の魅力を伝えてくれています。
以上が私の拙い見解ですが、どのように思われましたでしょうか。皆さんのご意見、ご感想をお待ちしております。 (2026年5月記)
コメント