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「水天とむじなの本尊」と「二つの本尊」

  • 執筆者の写真: 心一 萩坂
    心一 萩坂
  • 4 日前
  • 読了時間: 20分

更新日:7 時間前

宮前尋常高等小學校副読本『郷土之お話・上之巻』昭和8年度(1933年度)


 三 、水天とむじなの本尊(宮前村馬絹)

 昔々、宮前村馬絹のある山の麓(ふもと)の道端に、小さな辻堂がありました。そこには、水天(すいてん)という僧がたった一人で住んでおりました。水天は、毎日本尊様の前でお念仏を唱(とな)える外は、時々村々をあちこちと歩くだけでした。

 水天は、何でも知っているなかなか偉い人でした。村人は、何か分からないことや困った事ができたりすると、早速(さっそく)、水天の所へ出かけて来て教えを乞(こ)うのでした。水天は、何でもたいてい教えてやりました。また、困った時には相談にのってやりました。

 ところが、ある日のことでした。水天は、辻堂の裏のポカポカと日の当たる暖かい山の麓で、何の所在(しょざい)もなくうっとりといい気持ちになっておりました。山の上の方の松の梢(こずえ)は、ゴウゴウと寒そうな音を立てて鳴いているのに、そこは、まるでのどかな春の日のように暖かく穏(おだ)やかでした。

 すると、そこへ、二人の村人がやって来ました。

「やあ、水天様、ここにいらしったんですか。今、御堂へお訪ねしたところがお留守なので、がっかりしてしまったところです。」と、一人の人は申しました。

「いや、それはとんだ失礼を申しました。あまり暖かいでな、ついうとうとと居眠りをしておりましたわい。いや、実に暖かい小春日和(こはるびより)ですな。まあ、この草にかけさっしゃい。」

「実は水天様、また一つお願いを聞いて戴(いただ)きたくて上がりましたが。」 と言いながら、二人は水天のわきに腰を下ろしました。二人の願いというのは、こんなことでした。

 前からこの村に古い狐(きつね)とむじながいて、人間の物をとったり、人をおどかしたり魅(ばか)したりして仕方がありませんでした。

 ある時など、助さんという家では一(いっ)俵(ぴょう)もの餅(もち)をついて、伸し餅にして勝手に置いたところが、一晩のうちに一枚も残らずとられてしまいました。流しの下に、大きな穴を開けて入ったのでした。

 また、この間(あいだ)などは、その隣の家では、一晩のうちに鶏(にわとり)を十三羽もとられてしまったのです。

 それよりも、この間の晩です。谷戸(やと)の新三さんは、小田原提灯(ちょうちん)を提(さ)げて夜遅く山道を帰ってきたのでした。いつも厭(いや)な、両方から木のかぶさっている所まで行くと、奇麗(きれい)な女が現れたのです。新三さんは、ぞくっとして立ちすくんでしまいました。

 やがて、その女はニヤリと笑ったかと思うと、提灯の火が青くなってすうっと消えてしまったというのです。新三さんは提灯もなにもほうり出して、「キャッ。」と言って、とんで帰って来ると、そのまま寝ついてしまいました。そして、可哀想(かわいそう)にそれがもとで翌々朝は死んでしまったのでした。

「畜生、人間の命まで取りやがって、これじゃあ何としても、ほうっておけない。」というので、村中相談の結果、「どんなことでも聞いて下さるあの水天様の所へ行ってお願いしたら、きっと退治する方法を教えて下さるに違いない。」という相談がまとまって、今日、二人の人が代表して水天の所へ頼みに来たのでした。

「そりゃ困ったな。退治する方法っていっても、相手は自由自在に化けるずるい知恵を持っているからねえ。」と、これには水天も首をひねってしまいました。

「ですが、今晩一晩、なんとか考えてみましょう。」と言って、村人を帰しました。

その日も暮れました。水天は、本尊様に晩のお勤(つと)めを済ませて、夕飯を食べておりました。ご飯を食べながら、水天はふと思いつきました。

「そうだ、あの狸(たぬき)が来てくれればいいがなあ。なかなか親切な狸だから、なんとかしてくれるかもしれない。それに、あいつもなかなか人間の及ばぬ知恵を持っているから。」

 水天には、大の仲よしの狸がいました。

「そういえば、この頃ちっとも顔を出さないがどうしたのだろう。今晩あたり、来てくれればいいのだがなあ。」と、水天はご飯を食べながら、心待ちに待っておりました。

   ×   ×   ×   ×   ×   ×   ×

「どれ、久し振りで今日は水天さんを訪(たず)ねてみようか。今日あたりは、ことによると御馳走(ごちそう)があるかもしれない。」と、狸は自分の洞穴(ほらあな)から真っ暗な闇(やみ)の山へと出かけました。狸はよく慣れているいつもの道を、竹(たけ)薮(やぶ)の方へと下って参りました。

 すると、ひょっこり見知りごしのむじなに出会いました。顔を見合わせている時は立派なことを言っていながら、ついこの間なんかも、狸が水天さんから貰(もら)ってきておいた餅を盗んで夢中で逃げて行ったあのむじなだと思うと、狸はぐっと癪(しゃく)にさわりました。

「やあ、狸さんではないか。今日は、また水天さんの所へお出かけかね。狸さんはいいね。あの村人が仏様のようにお慕(した)い申している水天さんのお友達だもの。僕はいつも羨(うらや)ましくてならないよ。君なんぞは、何もしないでなんでも水天さんから戴けるから、いくら幸いかしれない。僕などは、それこそ命がけで人間の家に盗みに入ったり、一所懸命で人間を化かしたり、それも、きっと獲物(えもの)があればいいが、五辺(へん)に二辺(へん)はしくじってしまう。そんな時などは、明日の晩までじっと穴の中で、ペコペコのお腹(なか)を抱(かか)えて我慢していなければならない。そこへいくと、君なんかなんぼ幸福か知れないよ。」と、羨ましそうに申しました。

「ははは、馬鹿に君は羨ましそうだね。そんなに僕が幸福で楽に見えるかね。」と、狸は申しました。「幸福もなにも、お話にならないよ。」

「だが、僕だってまんざら、ただ水天さんから物を戴くのじゃないで。一所懸命に薪(たきぎ)をとってあげたり、たまには、また家のお掃除などもしてあげるのだ。この間だって、一晩中、山をほっつき歩いて、やっと大束(たば)三束ほど薪を拾っていってあげたのさ。まだ、二・三日はあるだろうよ。だが、そういう時にゃ、やっぱり特別においしい御馳走をしてくださるにはくださるがね。この間も、そりゃおいしいお餅の御馳走が出たよ。」「そんなこと言ってくれるなよ。僕は今お腹が減っているんだ。お腹がギュウギュウ言うよ。ねえ、狸さん、お願いだが、僕の言うことを聞いてくれないか。」と、さも腹が減ったような恰好(かっこう)をして、歎願(たんがん)するように言いました。

「いったい、お顧いというのはなんだね。」

「お願いですから、僕を狸さんのお友達にして下さいませんか。そして、僕を一緒に水天さんの所へ連れて行って下さいよ。その代わり、僕が狸さんの代わりに一人で二人分の薪を拾いますよ。狸さんは自分の家で毎日寝ておいでなさい。僕が大きな束を一束とってお迎えに参りますよ。そして、二人で一束ずつかついで行けばいいでしょう。」

「ははは、君はずいふん偉い考えをあみだすね。だがねえ、むじな君、こう言うと悪いかもしれないが、君はそれをどこまでも実行できるかな。」

「ええ、もうこのお願いさえ聞き入れて下されば、僕はどんな苦しい思いをしたって、それこそ雪が降ったって雨が降ったって、きっと一人で二人分の仕事をしますよ。誓いますよ。」

「そうかね。そう約束してくれれば、僕も君を友達にしてあげないこともないよ。そして、水天さんにうまく取り入ってあげてもいいよ。では、僕にはこれからなんでも正直にしてくれるかね。」

「ええ、もう僕は狸さんにうそなんかつくもんですか。」

「それじゃね、こんなことも聞いちゃ悪いかもしれないが、君は今まで自分で悪いと思うようなことをしたことはないかね。」

「とんでもない。狸さん。僕のような気の小さい者に、どうして悪いことなんかできましょう。」

「むじな君、うそを言ってはいけないよ。君は、今僕に正直にするということを誓ったんだろう。うそを言えば、僕は君を水天さんに紹介することはできないよ。」

「ええ、悪い事ってね、僕はさっき話した通り、人間を化かした事と物を盗みに行った事があるだけです。」

「盗みに行ったというのは、どこへ行ったのかね。」

「人間の家にですよ。」

「なんべんくらい行ったね。」

「二度行きましたが、一度は何にも取れなかったんです。」

「なんべん人を化かしたね。」

「たった一度きりです。」

「人間の家の外(ほか)に、物を盗みに行ったことはないかね。」

「ええ、外にはどこへも行ったことはありません。」

「それに違いないね。」と、狸は念を押すように言いました。

「ええ、もう、僕は狸さんには正直に申しますよ。」

「では聞くがね、この間、僕が水天さんから戴いてきた餅を、僕の家の岩の上に置いたのがなくなったんだが、むじな君は知らないかね。」

「へえ、そんなことがあったんですかね。僕は、ちっとも知りません。」と、空(そら)とぼけたように言いました。そして、また急に思いついたというふうに、「そうそう、狸さん、そういえば僕の友達にとてもしょうがない狐がいるのですよ。その餅は、きっとあの狐に違いありませんよ。僕はいつもそいつに、無理やりにひっぱられて盗みに行ったんですよ。」と、言いました。それを聞いた狸は急に改まった調子になって、

「むじな君、それでは僕はもう君の願いはお断りしますよ。」

「えっ、狸さん。それは一体どういうわけなんです。」

「そんなにしらばくれる不正直者を、どうしてあの水天様のもとに連れて行かれよう。」

 すると、むじなは急に態度を改めて、

「狸さん、ごめんなさい。ごめんなさい。あやまりますよ。実に俺が悪いです。僕が盗みました。あの晩は人間の家に盗みに行っても失敗し、魚らしく化かしても失敗し、どうにも腹が減ってたまらないので、急に狸さんの所へ思い出して行ってみたのです。ところが、おいしそうな餅があったので、悪いとは思いましたが、とうとう盗んで来てしまったのです。許して下さい。許して下さい。これから、もう決してうそは申しません。この通りです。」と、むじなはしどろもどろに頭を畑地にすりつけてあやまりました。

「むじな君、一度正直にしますと誓っておきながら平気でうそをつくような者と、僕は友達になることはできないよ。君がまたそうやってあやまって、誓い直したところで、とても僕は信じられないもの。僕はきっぱりお断りするよ。」と、狸は言い切りました。

「こんなにお願い申しても、駄目でしょうか。」

「もう、君が百万遍(べん)あやまったところで、僕はもう聞いてあげないよ。」

むじなは、暫(しばら)く黙っておりましたが、やがてぐいと頭を上げて、

「ちえっ。君のように情を知らない奴もないねえ。よくそれで、水天さんのお気に入りになれたもんだ。君なんかには、僕はもう何も頼まないよ。この腹でか奴(め)が。」と、罵(ののし)って気味悪い眼を光らしたかと思うと、やにわに傍(かたわ)らにあった枯れ枝を狸に叩きつけて、どこかへとんで行ってしまいました。

   ×   ×   ×   ×   ×   ×   ×  

 暫(しばら)くの後、狸は水天の家で色々御馳走になっていました。水天さんは、ふと狸の手を見て申しました。

「おや、狸さん。手をどうしたんだね。血が出ているじゃないか。」

「いや、これにはわけがあるのですよ。」と、狸はむじなとのいきさつをすっかり物語りました。

「なるほど、馬鹿な奴だね。それにしても、憎(にく)らしい奴だ。そうそう狸さん、そのむじなの奴について一つお前さんに頼みがあるのだが、聞いてくれまいか。」

「できることなら、なんでも致しますよ。」と、狸は答えました。そこで、今度は水天様が狸に、農夫の話を細々(こまごま)と物語りました。そして、申しました。

「どうだろう狸さん、村人を悩ますという奴は、そのむじなとそいつの友達という狐に違いないのだ。一つ、お前の知恵であいつをうまく退治してはくれまいか。」「そうですね。そんな悪い奴だったら放っておけませんね。宜(よろ)しゅうございます。何とか考えてみましょう。」と、狸は考え込みました。やがて、狸はポンと手を打って申しました。

「水天さん、やってみましょう。あなたも手を貸して下さいませんか。私が二人をうまくだまして、こちらへ連れてきますよ。そしたら、あなたは出られないようにしっかりと戸締りをして下さい。そこで二人でやってしまいましょう。そんな悪い奴なら、叩き殺してしまっても構いませんよ。できたら今晩、連れて来ますよ。もし、今晩駄目なら、明日の晩はきっと連れて来ますよ。なあに、私が一つうまく口をきけば、あんな奴の一匹や二匹はなんでもありませんよ。」

「そうかい、そりゃいい考えだ。待ってるよ。」

「じゃ、すぐ行ってみますよ。」

 そこで、狸は水天の家を辞(じ)しました。

   ×   ×   ×   ×   ×   ×   ×

 狸が水天とむじな退治の相談をしている頃、むじなと狐は山の中でこんな相談をしていました。

「さすがに君は狐だけあって、偉い知恵を持っているよ。狸の奴を殺しておいて、狸に化けて水天の所へ行くなんざあ一挙(いっきょ)両得(りょうとく)だ。すばらしい考えだ。ところで、その狸に化ける役は是非(ぜひ)君にやって貰(もら)いたいね。」と、むじなが言いました。

「そうだな。だが、やっぱり君の方がいいよ。君は、幾度(いくど)もあの狸に会っているから、あいつに化けるには君のほうが都合がいいよ。君、やってみたまえ。なに、水天だってたかが人間だよ。たいしたことはあるもんか。その代わり、狸を殺すのは俺が一人でやってみせるよ。あのでっかい腹の真ん中に俺の長い口でかみつけば、一かみであんな奴は往生(おうじょう)してしまうよ。」

「よし、では俺が狸に化けよう。なに、俺の力で化けりゃ水天などごまかすのはなんでもないよ。君は、外で俺がうまうまと山ほど御馳走をせしめて来るところを見物していたまえ。」と、むじなは得(とく)意気(いげ)に申しました。

「もう、そろそろあの狸奴(め)、帰って来る時刻だな。あいつの家に行って待っていようじゃないか。」と、狐は言いました。

 そこで、狐とむじなは、狸の穴の中に隠れて待っていました。半かけお月さんが、うす暗く山の上に光っていました。

 やがて、ポンポンと、狸が自慢の腹の太鼓(たいこ)を打つ音が聞こえてきした 。

「やあ、帰って来たぞ。野郎、お腹がふくれたと見えて、のん気に腹太鼓を叩きながら来やがる。」

「馬鹿な奴だな。腹太鼓を食い破られるのも知らねえで。」

腹太鼓の音はだんだん近づいて、やがて穴の入り口まで来ました。歯をむき出して構えていた狐は、頃おいと思う時刻、狸の腹をめがけてガバッとばかりかみつきました。可哀想に、不意をくった狸は、お腹の真ん中を深くかみつかれてしまいました。狸は、苦しそうにもがきました。が、とうとう動かなくなってしまいました。

やっと、放した狐は真っ赤な口からダラダラと血をたらしながら、「どうだ。」と、言わぬばかりに、むじなの方を見て得意気に笑いました。「君が、こんなにまで強いとは思わなかったよ。」と、むじなは称賛(しょうさん)しました。「じゃ、すぐ水天のところへ行こうか。」

「出かけよう。今度は、いよいよ俺の番だな。」と、むじなはもう御馳走を山ほど持って帰る様子を想像しました。

   ×   ×   ×   ×   ×   ×   ×

 トントン・・・と、むじなは水天の辻堂の戸を叩(たた)きました。すると、中から、「狸さんかい。」という声がしました。

「ええ、わたしですよ。また、やって来ましたよ。」と、むじなは狸の声をまねて言いました。

「さあ、お上がり、戸はまだ開いているよ。」と、水天の返事が聞こえました。そこで、むじなはうまく狸に化けて上へあがりました。水天は一人で御馳走を食べているところでした。

「おや、一人かい。」と、水天は小声で不思議そうに申しました。

「ええ、一人ですよ。先程は御馳走様でした。」

「どうしたんだ。むじなの奴に会えなかったのかい。今晩は、ことによると三人のお客さんがあるかもしれないと思って、たくさん御馳走をこしらえて待っていたんだよ。まあいいや、二人で食べよう。」

 むじなには、水天の言う事がなんだかさっぱり分かりませんでした。

「こりゃ、あまり変な事を言うと、化けの皮が現れちまう。」 と思ったので、むじなは只々(ただただ)、へえへえと返事をしていました。

「さあ、お上がり、今晩は狸さんの好きなイワシをこんなに焼いといたんだよ。」と、水天はすすめました。むじなは、もう外に待っている狐のことなんかすっかり忘れて、夢中で御馳走を食べ始めました。

「さっき、餅を食べたばかりでなかなか食べられるねえ。はは、ははは。」と、水天は冗談(じょうだん)を言いました。

「ええ、魚の味はまたたまりませんからねえ。」

「それはそうと、むじなの住んでいる穴を狸さんは知っているかい。」

 むじなは、ビクッとしましたが、

「いいえ、知りませんが。」と、できるだけ知らん顔をして答えました。

「ふうん、知らないのか。そりゃ困ったなあ。じゃ、いつ会えるか分からないなあ。」

「ええ。」

「狐の方も知らないのかい。」

「ええ。」

「困ったなあ。」

「なにか、御用があるんですか。」と、むじなは聞き返しました。

「ええ…。」

 水天は、それには返事をせず、じっと偽狸(にせたぬき)の顔を見始めました。

 やがて、水天はふいと立って、台所の方へ行ったかと思うと、戸に錠(じょう)を下ろして帰ってきました。むじなは、なんだか気味悪くなってきました。水天はもとの所へ帰ってくると、ニコニコしながら、急に気が付いたように、

「おや狸さん、手の傷はもう治っちまったのかい。」と、聞きました。むじなは、慌(あわ)ててしまいました。「え、ああ、あれですか。なに、もう治っちまったんですよ。」「ほう、そうかい。」と、言ったかと思うと、水天はいきなり、ぐらぐらと煮たっていた鉄瓶(てつびん)を偽狸に叩きつけました。

 不意を食らったからたまりません。むじなは、すっかり熱いお湯を頭からかぶってしまいました。夢中で家の中をかけ回った挙句(あげく)、本堂に逃げ込んでしまいました。水天は、「よくも狸に化けて来やがったな。もう逃がすものか。」と、デバ包丁を振り上げて追って行きました。ところが、本堂の中をいくら探してもいません。

「不思議だな、たしかここへ逃げ込んだんだが。」と、ふと見ると、本尊様が二つあるのに気が付きました。

「おや、おかしいぞ。本尊は一つしかない筈(はず)だが。ははあ、むじなの奴、逃げ場がないので今度は本尊に化けたな。ようし。」

 水天は、両方の本尊に手を触(ふ)れてみました。すると、左の方の本尊は暖かでした。水天は、暖かい方の本尊にデバを突きつけ、冷たい方の本尊にそっと指を触れて、

「どっちが本尊、どっちが本尊。」と言いながら、だんだんデバの方に力を入れていきました。すると、暖かい方の本尊は、真っすぐに下げていた手を上げて自分の鼻を指し、

「こっちが本尊、こっちが本尊。」と、言いました。水天は、

「家(うち)の本尊はものは言わん。このむじなの奴め、思いしれ。」と、グッとデバを突き刺しました。本尊は「ギュッ。」と言って、転げ落ちました。それは、大きな大きなむじなでした。

 外で待っていた狐は、このむじなの声を聞くと、夢中で山の奥へと逃げ去ってしまいました。

   ×   ×   ×   ×   ×   ×   ×  

 翌日、水天の話を聞いた村人は、どやどやと辻堂へむじなの死骸(しがい)を見物にやって来ました 。

「なんてまあ、でけえずう体(たい)をしているんだろうなあ。まあ、こいつはこの体で盗んて食いやがるのだもの、叶(かな)えっこねえや。でもまあ、水天さんのお陰様で、俺たちは今晩から枕を高くして寝られるんだ。本当に有り難(が)てえこった。」と、一人が言えば、

「そうにもなんにも、こん畜生、まあ人もあろうに水天様の所へなんど逃げ込みやがって、天罰だあね。」と、他の者は言いました。餅を盗まれた爺さんなどは、「こん畜生(ちくしょう)、俺んとこの勝手に入りやがって、せっかく大骨折ってこしらえた伸し餅を盗みくさって。」と言いながら、むきになって、死んでしまっているむじなの頭といわず腹といわず、蹴とばすのでした。

 誰一人として水天さんを讃(たた)え、むじなを罵らない者はありませんでした。びっくりして逃げてしまった狐はどこへ行ってしまったものか、それからというもの、ちっとも姿を現(あらわ)さなくなってしまったということです。

 

【注】 所在もない=することもない。  一俵=米俵60㎏。  

伸し餅=平らに薄く伸ばした餅。  勝手=台所。  見知りごし=以前からの知り合い。

癪にさわる=物事が気に入らず、不快に感じて腹立たしく思う。

罵る=馬鹿にしてけなす。  辞す=出る。  頃おい=ちょうどよい頃。  

称賛=ほめたたえる。  不意に=出し抜けに。  デバ=出刃包丁。

讃える=心からほめ合う。



萩坂昇作『かわさきのむかし話』昭和61年(1986年)


 二つの本尊(ほんぞん)(宮前区)           

 むかし、馬(ま)絹(ぎぬ)の山のふもとの寺に水天(すいてん)という若い坊さんがいたと。

水天は、ひとりぐらしだが、山にすむたぬきとなかよしでな、夜になるとたぬきは、こっそりやってくるのだと。

 これをねたんだのは、山にすむきつね。

 ある夜、きつねは村へにわとりをぬすみにいく道でばったりとたぬきにあったと。

「おい、また、水天のところだろ。うまいものを食べにいくのだろう。いいなー、たまにはおれもつれていけよ。おなじ山にくらす仲まじゃねえか」

「おら、ただでよばれてくるのじゃないぜ。てつだいしているんだ」

「てつだい? そんなことおらだってやるよ。な、つれてってくれ」

「でも、おまえは、村の人をこまらしているでな。水天さんは、みんな知っとるぞ。それをやめたらいつでもつれていくよ。今夜もにわとりをぬすみにいくのだろう」

 おこったきつねは、とびかかって手にかみついた。

 たぬきは、キャーン、キャーンとなきながら寺へころがりこんだ。

「ど、どうしただっ」

 水天はとんできて、たぬきをだいて傷口(きずぐち)にもぐさをもんでつけてやった。

「そうか、あのきつねにやられたか。よーし、わしがかたきをとってやるで、ごちそうするからというてつれてこい」

 つぎの夜、たぬきは、きつねをむかえにいった。

 きつねは、たぬきをみつけた。

「やろう、また、よばれてきたのだな。おら、ここ二、三日なにもくっておらんというのに。よーし、たぬきに化けて寺へいくぞ」

 木のかげにかくれてまちかまえ、たぬきがまえにきたとき、腹(はら)にかぶりついた。

 たぬきは、ばったりたおれた。

「よしよし、これでいいだ。これからは、にわとりどろぼうもやらんですむ。いったい寺ではどんなものをたべていたのかな」

 きつねは、たぬきに化けて寺へはしった。

 水天は、だまってはいってきたたぬきをみて、

「あれっ? ばかにはやいな。きつねはどうしたんだ。あえなかったのかい。ごちそうをつくってまっていたのに・・・」

にせたぬきは、なんのことかわからない。

「きつねってどこのきつねですか」

「おまえの山のあのきつねだよ。ほかにいるのか」

にせたぬきは、きつねときいて安心し、なべに手をだした。

「あれっ? 手のきずは、もうなおったのか、ばかにはやいなー」

 にせたぬきは、なんのことかわからない。ごちそうをたべようとしたとき、

「このきつねめっ!」

 水天は、鉄びんの湯をぶっかけたが、さっとみをかわして、まっくらな本堂へ逃げこんだ。

 水天は、ろうそくをもって出刃包丁(でばぼうちょう)をぎらつかせて本堂にはいってさがしたが、なんとしてもみつからない。

〈逃げたのかな、ここには出口がないのに。それともなにかに化けたのかな〉

 水天は、本尊の前で足をとめた。〈あれ、ご本尊が二つある。は、はー、やろうが化けたんだな〉

 水天は、ご本尊をながめていたが、

「どちらが本尊、どちらが本尊」

 というと、右の本尊が手をあげて、

「こっちが本尊。こっちが本尊」

「なんとぬかす、うちのご本尊は、ものをいわん。たぬきのかたきうちじゃ」

 むなぐらに出刃包丁をつきさすと、ご本尊は、老いぼれきつねになったと。



   二作品を比較して 萩坂心一(かわさき民話を愛する会会長)


 昨年来の一連の取り組みは、昭和8年度刊行の『郷土之(の)お話』の内容を正確に記すことが目的ですが、現代仮名遣いへの移行をはじめ、今の子どもたちにも読みやすいように「ルビ」や「注」を施しています。

 今回で二回目になりますが、『郷土之お話・上之巻』の三番目に出てくる「水天とむじなの本尊」を取り上げました。同じ題材で、川崎の民話作家・萩坂昇さんは「二つの本尊」を書き残しています。53年間の「時間差」のある二作品ですが、比較することで、それぞれの書き手の思いが浮き彫りになります。

 昭和8年に作られた「副読本」に込められた宮前尋常高等小学校の先生たちの思いを深く読み取りたいと思います。萩坂昇さんは、採録するにあたり、何を残し、何を削ったのか、単なるボリュームの違いだけではないものを探ってみるつもりです。私自身の見解は次の機会にお伝えしますが、皆さんも読み比べて、ご意見をお寄せいただけると嬉しいです。  なお、ご一読いただければすぐわかりますが、「水天とむじなの本尊」の中盤あたりに「あの晩は人間の家に盗みに行っても失敗し、魚らしく化かしても失敗し」という記述があります。大元の「記念誌」には「魚らしく」と明記されていますが、ガリ版刷りのコピー原稿では「魚」という字の後の数文字が消えています。

 信頼のおける資料として「川崎物語集」がありますが、この部分は残念ながら省略されていて確認できません。私としては、真実の言葉を探し当てたくて、この数か月いろいろと考えてみましたが、結論を得るには至りませんでした。  そこで、問題部分の痕跡を残すために、あえて斜文字・ゴチック・下線部を引いて、目立つようにしました。自分への宿題ですね。いつか「正解」に辿り着きたいと思ってますが、この点で、もしお気づきの方がいらっしゃいましたら、ぜひご一報ください。                                     (2026年3月記)

 

  萩坂心一連絡先 

   〒214-0014 神奈川県川崎市多摩区登戸3044-4-201

   自宅  044-935-0313  携帯 090-6707-2488

   メールアドレス  hagisaka@dab.hi-ho.ne.jp

 
 
 

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