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「もろこし畑の戦い」と「権六谷戸のもろこし」~二作品を比較・検討してわかること~

  • 執筆者の写真: 心一 萩坂
    心一 萩坂
  • 1月13日
  • 読了時間: 16分

更新日:1月16日

「もろこし畑の戦い」と「権六谷戸のもろこし」~二作品を比較・検討してわかること~

    萩坂心一(かわさき民話を愛する会会長)

 

 昭和8年度刊行の宮前尋常高等小學校副読本『郷土之お話・上之巻』に「もろこし畑の戦い」が掲載されていますが、これと同じ題材で、川崎の民話作家・萩坂昇さんは「権六谷戸のもろこし」を書き残しています。昭和61年刊『かわさきのむかし話』に掲載されたもので、二作品の間には53年間のタイムラグ=時間差があります。

 半世紀以上も時を隔てた二作品を比較・検討することで、それぞれの書き手の思いや時代背景などが浮き彫りになると考え、今回、筆を執った次第です。

 昭和8年=1933年といえば、日本が戦争の拡大に傾きつつある頃ですが、そんな時に地元の昔話に着目して、独自の「副読本」を作った宮前尋常高等小学校の先生たちの郷土への思いは並々ならぬものがあったと想像します。

 一方、昭和61年=1986年といえば、日本はバブル景気に向かい、都市開発が進み、土地の値段も上がり、郊外の豊かな自然が急速に失われていった時期です。

 現在68歳の私ですが、幼少期に高度経済成長を体験し、川崎では公害反対運動があったことを記憶しています。だからでしょうか、川崎の昔話には、我々が失いかけた大切なメッセージが込められていると思うのです。萩坂昇さんは私の叔父でもあるので、昔話の内容が彼の人生とも重なる気がします。

 前置きが長くなりました。では、いくつかの指標を設けて二作品を比較・検討してみます。

 

1.導入部の工夫の有無

 『郷土之お話』の「もろこし畑の戦い」は、こんな書き出しで始まります。 

【宮前村野川に、権六谷戸という小さな部落があります。東の方だけを残して、コの字形に三方山に囲まれた小さな部落です。西の方へぐっと入り込んだ細長い谷戸田を挟んで、両側の山の麓のあちこちに十五、六軒の農家が絵のように建っています。

 もう、秋も近いある夏の日の午後でした。

 南の山の麓のお爺さんは、北の山の草刈りに余念がありませんでした。そこへ、一人の男の子が、右手にはやかんをさげ、左の手には何か新聞紙に包んだものを持ってやって来ました。

「お爺さん、お爺さん、お荼うけだよ。そりゃ、いいもの・・・。」

男の子は右手のやかんを下に置いて、さも大切そうに、そして得意気にその包紙を両手でしっかりと抱きしめました。

「ほう、なんだろうなあ、いいものって。」

お爺さんは仕事をやめて、山の根に腰をおろして言いました。

「そりゃいいもの、当ててみな。」

「待てよ、おいもかな。」

「ううむ。」

「餅かな。」

「ちがう。」

「なんだろうな。」

「とうもろこしだよ。ほうら。」

男の子は、得意満面として、目を円くしながら、樺色に焼けた大きなおいしそうなとうもろこしを、四本出して見せました。

「ほう、そりゃいいもんじゃな。何処から貰ったんだい。」

「橋本のおばさんから。」

「えらいもの貰ったなあ。」

「まだ家にうんとあるよ。お爺さんにこれ二本あげらあ。」

と、男の子は同じ大きさのを二本お爺さんにやると、懐から茶飲み茶碗を出してお茶をつぎました。

「お爺さん、家じゃなぜとうもろこしを作らないのよ。しげちゃんとこでも、光ちゃんとこでも作らないんだねえ。」

男の子は、もう、とうもろこしを丸ごとかじながら、お爺さんにそう聞きました。

「うん、とうもろこしを作らないわけかい。」

「ああ、なぜなの。」

「それには、わけがあるんだよ。」

「どんなわけがあるの、お爺さん。話してよ。」

そこで、お爺さんはとうもろこしを作らないわけを、話して聞かせなければなりませんでした。

「じゃ、話してやろう。それは、ずっと昔、お爺さんの又お爺さんの、又そのお爺さんの時のことなんだよ・・・。」とお爺さんは、お茶を飲みながら話し始めました。】

 私は、この導入部にこそ本作品の最大の特徴があると思っています。10代前半の児童たちに、どうしたら興味を持ってもらえるか、昭和8年当時の先生たちの創意工夫ぶりが伺えます。お爺さんと子どもの生き生きした会話により、身近な出来事として児童たちもとらえたことでしょう。

 冒頭の地形の解説なども、現地を知る者は「地元の話だ」と喜んだに違いありません。好物のトウモロコシを食べながらのやりとりから、日常生活の延長線上で「昔話」が語られます。「今」と「昔」が隣り合わせになって話が進んでいく手法は、とても効果的だと思います。

 一方、萩坂昇さんの『かわさきのむかし話』の「権六谷戸のもろこし」の出だしは、

【むかしのむかし。野川・久末あたりが戦場になったときじゃ。】

と書かれていて、いきなり昔話の世界に入ります。無駄がなく、すっきりしていて、話の面白さを軸に進んでいきます。

 

2.時代・地域・人物の設定はほぼ同じ

 昔話の前提となる時代背景、場所・地域、主な登場人物は、二作品とも基本的にほぼ同じです。念のため、両作品の時代・場所・人物に該当する部分を引用してみます。

 『郷土之お話』の「もろこし畑の戦い」は、

【その頃は、鎧冑の武士があちらこちらで戦争ばかりしていました。

 ある日のこと、もう日が暮れる頃になって、二十人ばかりの武士がヘトヘトに疲れてこの谷戸にやって来ました。

 この武士は、藤原氏の後裔の一族でした。十日ほど前にはたくさんの家来がいたのですが、箱根の方の戦で皆討ち死にしてしまったのです。

 体は綿のように疲れてしまって、残った一族はもう戦う気力はありませんでした。これ以上戦っていれば、皆討ち死にしなければなりません。今はもう、何とかして逃れるより他に道がありませんでした。

 一族の者は、夜に日を次いで、東の方へと逃れて来たのです。矢や刀の為に深い傷を負うた者などは、皆途中で倒れてしまうのでした。やっと、この谷戸まで来た者は二十人きりになってしまったのです。

 そして、誰もこれ以上に歩くことすらできないほどに疲れてしまいました。誰一人として、体に矢や刀の傷を受けていない者はありませんでした。一族の者は、とにかく元気の回復するまで、この谷戸に逗留することになりました。

ただ一軒の家もないさびしい谷戸でした。中程は、じめじめとした地で、周りは一面に熊笹や篠竹や楢や櫟が茂っていました。そして、あちこちには大きな赤松や杉が幾本もありました。時折、山鳥が空を渡るほか、何も通りませんでした。

 傷の浅かった武土は、どんどん元気が回復してきました。すっかり元気づいた者は、木を切ってきて、掘っ立て小屋を作りました。そして、重病者の看護をしたり、鎧冑弓矢の繕いをしたり、村里に食物を求めに出かけたりしました。深い傷を負うた者も日一日と回復して、やがて、皆すっかり元気がつきました。

 ある日のことでした。一族の頭の藤原某が、皆の者に言いました。

「どうだ、皆の者、もうすっかり元気がついたか。」

すると、みんな逞しい腕をさすって見せながら、

「この通り、もういつ戦争が始まっても金輪際ぬかり申さぬ。武器の手入れも充分にできてござります。」と答えました。

「では、また引き返すか。」

「言うまでもない事でございます。」

一同は、元気に答えました。頭は、にっこりと笑いながら、

「うん、それだけの勇気があれば、もう恐るるところはない。だが、皆の者、よう聞け。我ら、これから矛をひるがえしてかえり打ちすることは、何の雑作もないことだ。だが、考えてみい。追わざる敵に矛を向けるもつまらぬ事だ。どうせ味方はこれだけ、いくら強くとも火に入る虫も同然。勿論、死は覚悟の前である。武士の意地もある。味方を殺された怨みもある。だが、それも売られた喧嘩を買いそこねただけの話。今喧嘩を売り返して、あたら命を捨てるのは犬死にというもの、いつか怨みを晴らす機会もあるだろう。どうぞ、皆の者、いつ何時なりとも敵を相手にするだけの覚悟をもって、俺の言うことを聞いて、ここにとどまる考えはないか。」と申しました。ですが、誰もすぐには何とも答えませんでした。

「どうだ、皆の者。」と、頭はもう一度皆の返事を促しました。もう、誰もそれに異議を申し立てる者はありませんでした。武士どもは、「かしこまってござります。」と、答えるほかありませんでした。その時の武士どもの心は、実に切ないものでありました。

「もう一度、引き返してやってしまおう。」と、燃え盛っていた心を一所懸命抑えたのでした。そこで、一族はこの谷戸にとどまることになりました。頭の藤原某は、この地に安く斉うという意味で、藤原の姓を安斉と改め、権六と名のりました。】

 安斉という姓の成り立ちを知り、友人・知人の「安斉さん」に親近感を覚え、誇らしく感じたことでしょう。地元ならではエビ―ソードですね。

 一方、萩坂昇さんの『かわさきのむかし話』の「権六谷戸のもろこし」は、

【そのころの戦いというのは、一人、一人が名のりあって槍でつきころしたり、刀できりつけたりする戦いじゃった。どっちが勝っても、負けても、いちばんえらいめにあったのは、田や畑をふみあらされた百しょうたちだった。それでも、百しょうたちは、きずついた武士をみると、やさしくいたわってやった。

 ある夏の日じゃった。野川の里に年おいた武士が家来を二十人ほどつれて落ちのびてきた。はげしい戦いをしてきたらしくどの武士も、よろいはやぶれ、からだはきずだらけになっていた。

 武士の話によると、山づたいににげてきて、谷戸(谷ま)におりようとしたとき、畑の中から数百本の槍をたてていきをこらしていた伏兵にやられたというのじゃ。しんせつな村人は、きずついた武士たちをかくまってやった。

 やがて、年月がたつとともに戦いの話もきえてしまった。年よりの武士は、名を権六とかえて百しょうすがたになってはいたが、心は、ふたたび戦うときにそなえていた。納屋のおくにかくされた光った刀がそのことを物語っていた。】

 表現の濃淡はありますが、両作品とも、基本的には「落武者」となった武士たちが、この谷戸の地において再起を図ろうとする設定は同じだと考えてよいでしょう。

 ただ、前者は落武者たちがこの地に初めて住みつき、谷戸での生活をスタートさせたのに対し、後者はすでに谷戸で暮らしていた村人たちの温情や援助によって、落武者たちの生活が成り立っています。

 「権六谷戸」という命名の由来を考えると、明らかに前者に深い意味合いを感じます。このあたりにも、宮前尋常高等小学校の先生の思いが込められているのかもしれません。

 

3.ストーリーの違い

 しかし、この後のストーリーに大きな違いが出てきます。大切な部分なので、長い引用になりますがご容赦ください。

 『郷土之お話』の「もろこし畑の戦い」は、

【それから、半年ばかり経ちました。武士の名によって山が開墾され、栗が実り、とうもろこしが茂りました。毎日、みんな一所懸命で働きました。その後、平和な穏やかな日が毎日続きました。

 ところが、ある日のことでした。みんなが山や畑に出てしまって、権六一人が小屋の軒の下で、刀を磨いていました。すると、すぐ側の戸板にプツーンと大きな音がしました。とうとう、大変な事がやってきたのです。

 見れば、それは何処から飛んで来たのか、一本の矢が突き刺さっていました。それに続いて、今一本、ピュッーと唸って小屋の上を飛んで行きました。

 権六は腰の笛を取ると、ピーと吹き鳴らしました。敵が来た時は、一番先に見つけた者が相図の笛を吹き鳴らすことに決めてあったのです。

 パラパラッと眼ばたきする間に、皆集まってしまいました。そして、恐ろしく早い勢いで鎧冑を身に付け、かねて用意をしておいたたくさんの矢を、天井から下ろしました。

 敵の矢は、忽ちピュウピュウと物凄い唸りを立てて雨のように飛んで来ました。そのうち、向こうの櫟山の上から百余りの軍勢が、まるで雪なだれのように小屋をめがけて押し寄せて来ました。味方は小勢でしたが、二十人の者の勇気は大変なものでした。

 権六が、「それっ、ぬかるな。」と下知をするが早いか、一同はもう矢を捨て脇差を振りかぶって、「時こそ来たれ。」と、どっと一どきに小屋からおどり出ました。敵味方入り乱れて、物凄い切り合いが始まりました。

 眠気のさすほど穏やかであったこの山里は、恐ろしい乱闘の巷と化してしまったのです。「エイッ、エイッ。」いう気合が、谷戸中に轟きました。餌を拾いに来た雀どもは、驚いて飛び立ちました。風が巻き起こされて、高く生い茂っているとうもろこしの葉がザワザワと鳴りました。

 見る間に、七・八十人の者がバタバタと血をふいて倒れました。敵も味方も、だんだん少なくなってきました。

 向こうの方では、たった一人の者が、五人の敵を相手にして戦っています。こちらの方では、二人と七人で戦っています。・・・しまいには、遂に権六一人と敵三人になってしまいました。

 権六は必死になって戦いました。血みどろになってとうもろこし畑に倒れている味方の死骸を見ると、権六は益々気がはやり立ちました。しかし、もう一人で三・四十人も切って捨てた権六は、何といっても疲れてきました。

 三人の敵は刀を中段に構えて、じりじりと詰めよって来ます。権六は次第に、畑の隅に追い詰められて来ました。

 もうこれまでと、権六は「エイ。」と一声横に払いました。二人は腰を深く切られて、「アッ。」と悲鳴をあげて倒れました。

それにひるんで思わず尻込みした一人の肩に、権六はすかさず「エイ。」と切り下ろしました。これもたすきがけに切り下げられて、ばったり倒れてしまいました。・・・権六ただ一人、・・・日はいつか山に隠れて、空には赤い夕映えが遥々と流れていました。その下を、雁が淋しそうに鳴きながら飛んで行きました。

 茫然とその場に立ちつくしていた権六は、もろこし畑に悲惨な最期を遂げている味方の死骸に気が付くと、衝き動かされたようにフラフラと歩き出しました。

 そして、味方の十九の死骸を一つ所に並べて、静かに寝かせました。権六の眼は涙にぬれていました。やがて、その前にひざまずくと、権六は両手を合わせて頭を垂れました。そして、いつまでもいつまでも口の中で何か唱えておりました。

 その後、安斉権六は独り小屋を繕って、ここに住居を定めたのでした。そして、権六の子孫は段々増えて、今では幾軒もの分家ができました。

 そして、いつの間にか権六の名を取って、この谷戸を呼ぶようになりました。そして、子孫は、先祖の怨み深きとうもろこしは、先祖に申し訳がないという敬虔な心から、今でも決してとうもろこしを作ることをしないという風習が残っています。】

 一方、『かわさきのむかし話』の「権六谷戸のもろこし」は、

【しかし、長い年月がたつうちに、家来の中には、うらぎるものや、くにの妻や子がこいしくなってはなれていくものがつぎつぎとでた。そしてナ、とうとう権六ひとりになってしまった。

 ある日、権六は、谷戸のもろこし畑へ仕事にでかけていった。丘をかけおりて、畑のところにたった権六の目は光った。「伏兵じゃ!」

 権六は、畑の中に何百本とたつ槍をみたのじゃ。権六は、くわやかまをすて、家へ槍をとりにかえったが、その道すがら考えこんでしまった。

〈あのときは、まだわしにはわずかだが家来がおったが、いまは、わしひとりじゃ。とても戦っても勝ちめはない。・・・いや、わしは、いまは百しょうじゃ・・・。〉

 権六は、谷戸へは、それっきりいかなかった。

 あとでわかったのじゃが、権六がみたという伏兵の槍というのは、じつは、もろこしをきったあとのくきだったのじゃ。

 村人からもろこしのくきの話をきいた権六は、じぶんのいくじなさをなげいたが、あのはげしい戦いと、うしなった家来をおもいだしていた。

 そしてナ、権六は、家来のくようのためにもそれっきりもろこしをつくらなくなったそうじゃ。

 権六の子孫は、安斉家となり、いまは四十代目になりさかえているが、安斉家でも、いちどももろこしをつくらなかったということじゃ。】

 安斉家でトウモロコシを作らなくなったという「落ち」は共通していますが、そこに至るストーリーはかなり違います。

 前者は20人の家来たちが結束して、もろこし畑を舞台に、100名あまりの敵と壮絶な戦いを繰り広げ、最後の一人となった権六も相手を斬り倒します。そして、悲惨な最期を遂げた19人の仲間の死骸を葬り、その恨みを忘れないために、権六は二度とトウモロコシは作らなかったんですね。

 ところが、後者は、家来の中に裏切り者や脱落者が続出して、権六一人になってしまいます。伏兵だと思った敵たちを前に、一人では勝ち目がないと戦意を喪失します。しかも、権六が敵の槍だと思ったのは、トウモロコシを切った後の茎だったとわかり、自らのいくじなさを嘆きます。

 昭和8年に伝わっていた昔話は、最後まで戦い、死を遂げていく武士たちの勇猛果敢な姿でした。昭和61年に再現した昔話は、仲間に裏切られた武士が、もろこしの茎を敵の槍と見間違える情けない姿でした。前者の時代に後者のような「腰抜け権六」はありえないでしょうね。

 私が気になっているのは、昭和8年、日中戦争が拡大しつつある時期に、激戦のリアルな描写が、10代前半の「少国民」たちにどのような印象を与えたのか、ということです。別の言い方をすると、当時の先生たちが、あの残酷なシーンを克明に描いた意図は何だったのか・・・。戦地で戦う兵隊さんの苦労や尊い犠牲に心を寄せたり、いずれは自らも戦地に赴く覚悟を促したり・・・。解釈はいくつかありそうですが、本文で「戦争」と表現している箇所もあり、「時代」の空気を感じます。

 もう一つ気になっているのは、同じ題材なのに、これほどストーリーが違うのはなぜか、ということです。でも、こうした例は、昔話や伝説ではよくあることで、物語のどの部分に着目するのか、どの言い伝えを採用するのか、作者の感性や志向、その時代の影響もあると思います。

 

4.共通するメッセージ

 両作品に共通するメッセージは、紛れもなく「平和」です。宮前尋常高等小學校の先生たちはもちろんのこと、21歳で敗戦を迎えた萩坂昇さんも、予科練で弟を喪い、空襲で軍需工場の同僚2500人を一瞬にして喪っているので、平和への思いは人一倍強かったはずです。

 最後に、それぞれの昔話の終わり方を比較してみます。

『郷土之お話』の「もろこし畑の戦い」は、

【お爺さんの話は、これで済みました。とうもろこしを食べるのも忘れて、熱心に聞いていた男の子は、話が終わると、大きなため息を一つして、

「権六って人は、髄分強かったんだなあ。」と言いました。

「ああ、そりゃ強い人だったんだよ。」

「その切り合いっこやったのは、ああ、ここいらだったんだなあ・・・。そして、その人達が作ったとうもろこしがたくさんあったんだなあ、面白いなあ。」と言いながら、男の子はもう一遍、南の山のあたりを眺めました。そして、また言いました。

「でも、すてきなことがあったんだなあ。そして、権六って人は、ずっと昔の僕たちのお爺さんだったんだねえ。」

 足の遅い夏の日も西に傾いて、今は平和な権六谷戸を赤々と照らしていました。】

 お爺さんも子どもも「権六は強い」と誉めていますが、これも「時代」の反映でしょうか。国や天皇のために死ぬことを教えるのが学校の使命でしたから、「強い武士」の存在は不可欠だったでしょう。

 私が最も印象に残ったのは、「権六って人は、ずっと昔の僕たちのお爺さんだったんだねえ」という台詞です。優れた郷土教育は、先祖との繋がりを意識し、自分たちが生まれ育った土地を平和で豊かにしていく狙いがあると思います。時代の制約があるとはいえ、根本にあるのは、深い郷土愛ではないか、そんなことをこの文章から感じます。

 それにしても、「今は平和な権六谷戸」という一節は、その後の日米開戦、本土空襲を考えると、なんとも言えない思いに駆られます。

 一方、『かわさきのむかし話』の「権六谷戸のもろこし」は、

【これとそっくりの話というのが、神奈川県愛甲郡清川村法輪堂部落にものこっている。この村でも、落武者がもろこしを槍とみたことから、村では、もろこしづくりをやめたということじゃ。】

 萩坂昇さんは、川崎以外の地でも神奈川県内に同じ言い伝えがある、どこでもいつでも、人間は「平和」を強く望んでいるものだと書き添えて、話を閉じています。

 両作品に共通する「平和」のメッセージ、2026年の今、とても大切だと思います。そんなわけで、93年前と40年前に書かれた「昔話」が伝えたかったことを、これからも語り継いでいく所存です。

 以上、はなはだ不十分な考察ですが、一つの問題提起として受けとめていただき、川崎の昔話に興味を持ってくださると幸いです。

 なお、今後も、昭和8年度刊行の宮前尋常高等小學校副読本『郷土之お話』の正確な表記を目標に、しばらくは努力を重ねていくつもりです。

 引き続き、ご指導・ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。

 

〔追記〕

 萩坂昇さんの「権六谷戸のもろこし」については、山本篤さんが、史実を踏まえて丁寧に解説してくれています。詳しくは、「かわさき民話を愛する会」が2021年10月に発行した『川崎の民話と地域の歴史を学ぶ』に「山本篤先生講演記録」として収録されています。

この冊子は川崎市内の図書館に配架されておりますので、ご一読ください。

                                 (2026年1月記)

 
 
 

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