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「もろこし畑の戦い」と「権六谷戸のもろこし」

  • 執筆者の写真: 心一 萩坂
    心一 萩坂
  • 10月5日
  • 読了時間: 13分

更新日:2 日前

宮前尋常高等小學校副読本『郷土之お話・上之巻』昭和8年度(1933年度)

 

二、もろこし畑の戦い (宮前村字野川権六谷戸)

 

宮前村野川(のがわ)に、権六谷戸(ごんろくやと)という小さな部落(ぶらく)があります。東の方だけを残して、コの字形に三方(さんぽう)山に囲まれた小さな部落です。西の方へぐっと入り込んだ細長い谷戸田(やとだ)を挟(はさ)んで、両側の山の麓(ふもと)のあちこちに十五、六軒の農家が絵のようにたっています。

もう秋も近いある夏の日の午後でした。南の山の麓のお爺(じい)さんは、北の山の草刈りに余念(よねん)がありませんでした。そこへ、一人の男の子が、右手には薬缶(やかん)をさげ、左の手には何か新聞紙に包んだものを持ってやって来ました。

「お爺さん、お爺さん、お荼うけだよ。そりゃ、いいもの・・・。」

男の子は右手の薬缶を下に置いて、さも大切そうに、そして得意気(とくいげ)にその包紙(つつみがみ)を両手でしっかりと抱きしめました。

「ほう、なんだろうなあ、いいものって。」

お爺さんは仕事をやめて、山の根に腰(こし)をおろして言いました。

「そりゃいいもの、当ててみな。」

「待てよ、おいもかな。」

「ううむ。」

「餅(もち)かな。」

「ちがう。」

「なんだろうな。」

「とうもろこしだよ。ほうら。」

男の子は、得意満面(とくいまんめん)として、目を円(まる)くしながら、樺(かば)色に焼けた大きなおいしそうなとうもろこしを四本出して見せました。

「ほう、そりゃいいもんじゃな。どこから貰(もら)ったんだい。」

「橋本のおばさんから。」

「えらいもの貰ったなあ。」

「まだ家にうんとあるよ。お爺さんにこれ二本あげらあ。」

と、男の子は同じ大きさのを二本お爺さんにやると、懐(ふところ)から茶飲み茶碗(わん)を出してお茶をつぎました。

「お爺さん、家じゃなぜとうもろこしを作らないのよ。しげちゃんとこでも、光ちゃんとこでも作らないんだねえ。」

男の子は、もう、とうもろこしを丸ごとかじながら、お爺さんにそう聞きました。

「うん、とうもろこしを作らないわけかい。」

「ああ、なぜなの。」

「それには、わけがあるんだよ。」

「どんなわけがあるの、お爺さん。話してよ。」

そこで、お爺さんはとうもろこしを作らないわけを話して聞かせなければなりませんでした。

「じゃ、話してやろう。それはずっと昔、お爺さんの又(また)お爺さんの、その又お爺さんの時のことなんだよ・・・。」

とお爺さんは、お茶を飲みながら話し始めました。

×    ×    ×    ×    ×    × 

その頃は、鎧(よろい)冑(かぶと)の武士があちらこちらで戦争ばかりしていました。

ある日のこと、もう日が暮れる頃になって、二十人ばかりの武士がヘトヘトに疲れてこの谷戸にやって来ました。

この武士は、藤原氏の後裔(こうえい)の一族でした。十日ほど前にはたくさんの家来(けらい)がいたのですが、箱根の方の戦で皆討(う)ち死にしてしまったのです。

体は綿(わた)のように疲れてしまって、残った一族はもう戦う気力はありませんでした。これ以上戦っていれば、皆討ち死にしなければなりません。今はもう、何とかして逃(のが)れるよりほかに道がありませんでした。

一族の者は夜(よ)に日(ひ)を次(つ)いで、東の方へと逃れて来たのです。矢や刀の為に深い傷を負(お)うた者などは、皆途中で斃(たお)れてしまうのでした。やっとこの谷戸まで来た者は二十人きりになってしまったのです。

そして、誰もこれ以上に歩くことすらできないほどに疲れてしまいました。誰一人として、体に矢や刀の傷を受けていない者はありませんでした。一族の者は、とにかく元気の回復するまで、この谷戸に逗留(とうりゅう)することになりました。

ただ一軒の家もないさびしい谷戸でした。中程(なかほど)はじめじめとした地で、周(まわ)りは一面に熊笹(くまざさ)や篠(しの)竹や楢(なら)や櫟(くぬぎ)が茂っていました。そして、あちこちには大きな赤松や杉が幾本(いくほん)もありました。時折(ときおり)、山鳥(やまどり)が空を渡るほか何も通りませんでした。

傷の浅かった武土はどんどん元気が回復してきました。すっかり元気づいた者は、木を切ってきて、掘っ立て小屋を作りました。そして、重病者の看護(かんご)をしたり、鎧冑弓矢の繕(つくろ)いをしたり、村里(むらざと)に食物を求めに出かけたりしました。深い傷を負うた者も日一日と回復して、やがて皆すっかり元気がつきました。

ある日のことでした。一族の頭(かしら)の藤原某(なにがし)が皆の者に言いました。

「どうだ皆の者、もうすっかり元気がついたか。」

すると、みんな逞(たくま)しい腕をさすって見せながら、

「この通り、もういつ戦争が始まっても金輪際(こんりんざい)ぬかり申さぬ。武器の手入れも充分(じゅうぶん)にできてござります。」

と答えました。

「では、また引き返すか。」

「言うまでもない事でございます。」

一同は元気に答えました。頭はにっこりと笑いながら、

「うん、それだけの勇気があれば、もう恐るるところはない。だが、皆の者、よう聞け。我ら、これから矛(ほこ)をひるがえしてかえり打ちすることは何の雑作(ぞうさ)もないことだ。だが、考えてみい。追わざる敵に矛を向けるもつまらぬ事だ。どうせ味方はこれだけ、いくら強くとも火に入(い)る虫も同然。勿論(もちろん)、死は覚悟の前である。武士の意地もある。味方を殺された怨(うら)みもある。だが、それも売られた喧嘩(けんか)を買いそこねただけの話。今喧嘩を売り返して、あたら命を捨(す)てるのは犬死(いぬじ)にというもの、いつか怨みを晴らす機会もあるだろう。どうぞ、皆の者、いつ何時(なんどき)なりとも敵を相手にするだけの覚悟をもって、俺の言うことを聞いて、ここにとどまる考えはないか。」

と申しました。ですが、誰もすぐには何とも答えませんでした。

「どうだ、皆の者。」

と、頭はもう一度皆の返事を促(うなが)しました。もう、誰もそれに異議(いぎ)を申し立てる者はありませんでした。武士どもは、

「かしこまってござります。」

と、答えるほかありませんでした。その時の武士どもの心は、実に切(せつ)ないものでありました。

「もう一度、引き返してやってしまおう。」と燃え盛(さか)っていた心を、一所懸命(いっしょけんめい)抑(おさ)えたのでした。

そこで、一族はこの谷戸にとどまることになりました。頭の藤原某は、この地に安(やす)く斉(ととの)うという意味で、藤原の姓(せい)を安斉(あんざい)と改め、権六(ごんろく)と名のりました。

それから、半年ばかり経(た)ちました。武士の名によって山が開墾(かいこん)され、栗(くり)が実り、とうもろこしが茂りました。毎日、みんな一所懸命で働きました。その後、平和な穏(おだ)やかな日が毎日続きました。

ところが、ある日のことでした。

みんなが山や畑に出てしまって、権六一人が小屋の軒(のき)の下で刀を磨(みが)いていました。すると、すぐ側(そば)の戸板(といた)にプッーンと大きな音がしました。とうとう、大変な事がやってきたのです。

見れば、それはどこから飛んで来たのか、一本の矢が突(つ)き刺(さ)さっていました。それに続いて、今一本、ピュッーと唸(うな)って小屋の上を飛んで行きました。

権六は腰の笛を取ると、ピーと吹き鳴らしました。敵が来た時は、一番先に見つけた者が相図(あいず)の笛を吹き鳴らすことに決めてあったのです。

パラパラッと眼(ま)ばたきする間に、皆集まってしまいました。そして、恐ろしく早い勢いで鎧冑を身に付け、かねて用意をしておいた沢山(たくさん)の矢を、天井(てんじょう)から下ろしました。

敵の矢は、忽(たちま)ちピュウピュウと物凄(ものすご)い唸(うな)りを立てて雨のように飛んで来ました。そのうち、向こうの櫟(くぬぎ)山の上から百余りの軍勢(ぐんぜい)が、まるで雪なだれのように小屋をめがけて押し寄せて来ました。味方は小勢でしたが、二十人の者の勇気は大変なものでした。権六が、

「それっ、ぬかるな。」

と下知(げち)をするが早いか、一同はもう弓矢は捨て、脇差(わきざし)を振りかぶって、

「時こそ来たれ。」

と、どっと一どきに小屋からおどり出ました。敵味方入り乱れて、物凄い切り合いが始まりました。眠気(ねむけ)のさすほど穏(おだ)やかであったこの山里は、恐ろしい乱闘の巷(ちまた)と化(か)してしまったのです。

「エイッ、エイッ」という気合(きあい)が谷戸中に轟(とどろ)きました。餌(えさ)を拾(ひろ)いに来た雀(すずめ)どもは、驚いて飛び立ちました。風が巻き起こされて、高く生い茂っているとうもろこしの葉がザワザワと鳴りました。

見る間に、七・八十人の者がバタバタと血をふいて斃れました。敵も味方も、だんだん少なくなってきました。

向こうの方では、たった一人の者が五人の敵を相手にして戦っています。こちらの方では、二人と七人で戦っています。・・・しまいには、遂(つい)に権六一人と敵三人になってしまいました。

権六は必死になって戦いました。血みどろになってとうもろこし畑に斃れている味方の死骸(しがい)を見ると、権六は益々(ますます)気がはやり立ちました。しかし、もう一人で三・四十人も切って捨てた権六は、何といっても疲れてきました。

三人の敵は刀を中段(ちゅうだん)に構(かま)えて、じりじりと詰(つ)めよって来ます。権六は次第(しだい)に、畑の隅(すみ)に追い詰められてきました。

もうこれまでと、権六は「エイ」と一声(ひとこえ)横に払いました。二人は腰を深く切られて、「アッ」と悲鳴をあげて倒れました。

それにひるんで思わず尻込(しりご)みした一人の肩に、権六はすかさず「エイッ」と切り下ろしました。これもたすきがけに切り下げられて、ばったり倒れてしまいました。・・・権六ただ一人、・・・日はいつか山に隠れて、空には赤い夕映(ゆうば)えが遥々(はるばる)と流れていました。その下を、雁が淋(さび)しそうに啼(な)きながら飛んで行きました。

茫然(ぼうぜん)とその場に立ちつくしていた権六は、もろこし畑に悲惨な最期(さいご)を遂(と)げている味方の死骸に気がつくと、衝(つ)き動かされたようにフラフラと歩き出しました。

そして、味方の十九の死骸を一つ所に並べて、静かにねかせました。権六の眼は涙にぬれていました。やがて、その前にひざまずくと、権六は両手を合わせて頭(こうべ)を垂(た)れました。そして、いつまでもいつまでも口の中で何か唱(とな)えて居りました。

 その後、安斉権六は独(ひと)り小屋を繕(つくろ)って、ここに住居を定めたのでした。そして、権六の子孫はだんだん増えて、今では幾軒(いくけん)もの分家(ぶんけ)ができました。

そして、いつの間にか権六の名を取って、この谷戸を呼ぶようになりました。そして子孫は、先祖の怨み深きとうもろこしを作ることは、先祖に申し訳がないという敬虔(けいけん)な心から、今でも決してとうもろこしを作ることをしないという風習(ふうしゅう)が残っています。

×    ×    ×    ×    ×    × 

 お爺さんの話はこれで済(す)みました。とうもろこしを食べるのも忘れて、熱心に聞いていた男の子は、話が終わると大きなため息を一つして、

「権六って人は、髄分(ずいぶん)強かったんだなあ。」と言いました。

「ああ、そりゃ強い人だったんだよ。」

「その切り合いっこやったのは、ああ、ここいらだったんだなあ・・・。そして、その人達が作ったとうもろこしが沢山あったんだなあ、面白いなあ。」

と言いながら、男の子はもう一遍(いっぺん)、南の山のあたりを眺(なが)めました。そして、また言いました。

「でも、すてきなことがあったんだなあ。そして、権六って人は、ずっと昔の僕たちのお爺さんだったんだねえ。」

足の遅(おそ)い夏の日も西に傾(かたむ)いて、今は平和な権六谷戸を赤々(あかあか)と照らしていました。

 

【注】谷戸=谷間の入りくんだ土地  余念=他の考え  藤原氏=平安時代の貴族  後裔=名籍を伝える何代もの後の人  逗留=末長くとどまる  

繕い=修繕すること  某=誰かと名を伏せて使う語  金輪際=断じて

矛=敵を突き刺す武器(短い剣)  雑作=手間や費用  犬死に=無駄死に

ぬかり申さぬ=手抜かりしない  軍勢=軍の人数などの勢力  下知=命令  脇差=守り刀  巷=場所  最期=死に際  

敬虔=うやまいつつしむ気持ちの深いさま

 

       

萩坂昇作『かわさきのむかし話』昭和61年(1986年)

 

第十五話 権六谷戸のもろこし

 

むかしのむかし。

野川(のがわ)・久末(ひさすえ)あたりが戦場になったときじゃ。

そのころの戦いというのは、一人、一人が名のりあって槍(やり)でつきころしたり、刀できりつけたりする戦いじゃった。

どっちが勝っても、負けても、いちばんえらいめにあったのは、田や畑をふみあらされた百しょうたちだった。

それでも、百しょうたちは、きずついた武士をみると、やさしくいたわってやった。

ある夏の日じゃった。

野川の里に年おいた武士が家来を二十人ほどつれて落ちのびてきた。

はげしい戦いをしてきたらしくどの武士も、よろいはやぶれ、からだはきずだらけになっていた。

武士の話によると、山づたいににげてきて、谷戸(やと)(谷(たに)ま)におりようとしたとき、畑の中から数百本の槍をたてていきをこらしていた伏兵(ふくへい)にやられたというのじゃ。

しんせつな村人は、きずついた武士たちをかくまってやった。

やがて、年月(としつき)がたつとともに戦いの話もきえてしまった。

年よりの武士は、名を権六とかえて百しょうすがたになってはいたが、心は、ふたたび戦うときにそなえていた。

納屋(なや)のおくにかくされた光った刀がそのことを物語っていた。

しかし、長い年月がたつうちに、家来の中には、うらぎるものや、くにの妻や子がこいしくなってはなれていくものがつぎつぎとでた。

そしてナ、とうとう権六ひとりになってしまった。

ある日、権六は、谷戸のもろこし畑へ仕事にでかけていった。丘をかけおりて、畑のところにたった権六の目は光った。

「伏兵じゃ!」

権六は、畑の中に何百本とたつ槍をみたのじゃ。権六は、くわやかまをすて、家へ槍をとりにかえったが、その道すがら考えこんでしまった。

〈あのときは、まだわしにはわずかだが家来がおったが、いまは、わしひとりじゃ。とても戦っても勝ちめはない。・・・いや、わしは、いまは百しょうじゃ・・・。〉

権六は、谷戸へは、それっきりいかなかった。

あとでわかったのじゃが、権六がみたという伏兵の槍というのは、じつは、もろこしをきったあとのくきだったのじゃ。

村人からもろこしのくきの話をきいた権六は、じぶんのいくじなさをなげいたが、あのはげしい戦いと、うしなった家来をおもいだしていた。

そしてナ、権六は、家来のくようのためにもそれっきりもろこしをつくらなくなったそうじゃ。

権六の子孫(しそん)は、安斉家(あんざいけ)となり、いまは四十代目になりさかえているが、安斉家でも、いちどももろこしをつくらなかったということじゃ。

これとそっくりの話というのが、神奈川県愛甲郡(あいこうぐん)清川村(きよかわむら)法輪堂(おろんどう)部落にものこっている。この村でも、落武者(おちむしゃ)がもろこしを槍とみたことから、村では、もろこしづくりをやめたということじゃ。     おしまい


  

 二作品を比較して 萩坂心一(かわさき民話を愛する会会長)

 

今回の取り組みは、昭和8年度刊行の『郷土之(の)お話』の内容を正確に記すことが目的ですが、現代仮名遣いへの移行をはじめ、今の子どもたちにも読みやすいように「ルビ」や「注」を施しました。

記念すべき初回は『郷土之お話・上之巻』の二番目に出てくる「もろこし畑の戦い」を取り上げました。同じ題材で、川崎の民話作家・萩坂昇さんは「権六谷戸のもろこし」を書き残しています。今回紹介したのは、昭和61年刊『かわさきのむかし話』に掲載されたもので、53年間の「時間差」がありますが、この二作品を比較することで、それぞれの書き手の思いが浮き彫りになります。

昭和8年といえば、日本が戦争の拡大に傾きつつある頃ですが、そんな時に地元の昔話に着目して、独自の「副読本」を作った宮前尋常高等小学校の先生たちの郷土に対する思いが伝わってきます。一方、昭和61年は西暦だと1986年、バブル景気に向かい始め、開発が進み、土地の値段も上がり、郊外の豊かな自然が急速に失われていった頃でもあります。

そんなことを念頭において二作品を読むと、さまざまな感慨を抱きます。私自身の見解は別の機会にお伝えしますが、皆さんも読み比べて、ご意見をお寄せいただけると嬉しいです。

なお、「権六谷戸のもろこし」は、2015年刊『復刻版・かわさきのむかし話』には不掲載なのでご留意ください。(2025年10月記)

 

萩坂心一連絡先 〒214-0014 神奈川県川崎市多摩区登戸3044-4-201

自宅  044-935-0313  携帯 090-6707-2488

メールアドレス  hagisaka@dab.hi-ho.ne.jp

 
 
 

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川崎市文化財課のHP「シッシー君の文化財探訪日記」

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